帰還

故郷のランドスケープはまるで降りしきる雪とつもりきったあとの雪景色のごとく変化する。
分刻みの映像では美しい変化だが、総体としてはほとんど変化のない光景が繰り返され、地にたまる澱で少しずつ、あらゆるものが埋もれていく。

故郷の人はのべからく未来ではなく過去にとらわれており、彼らが求めているのは過去の延命であって、中学生は20年年をとった、中学生のままでであり、ただ過去を懐かしむためだけに20年来の友人と馬鹿話をかわし、それ以上を求めない。
小難しい話はご無用、酒がまずくなる。だが、同じ酒を何年も飲み続ければ飽きはしないか。

新しい話がしたい。同じ話は飽き飽きだ。だが新しい話がどこにつながり、彼らに役に立つのかはえ分からない。彼らには過去こそが大事で未来などは必要ないのかもしれない。それどころか、あまりにもぶれない彼らを見ていると、おかしいのは自分自身ではないかと思えてくる。

久しぶりに故郷の友人と話と話して、彼らが過去の思い出話しかしないことに息が詰まり、つい愚痴をこぼしてしまいそうろう。酔っ払っているせいか、どこかポエムのような文体だ。埼玉へ戻るための電車の中でいまこれを書いている。

“帰還” への4件のフィードバック

    1. aihara

      そればっかりじゃなかったのかもしれないが、久しぶりにに会ったというのに近況確認や近況報告なんかはほとんどなくて、過去の話ばかりだったのは少し寂しかったな。

  1. いい記事だなぁ。
    話というやつは投げる方と受ける方の双方が共有している情報について語るのが最も感情的なリスクが少ないので、一定の距離感が確立してしまった関係ではより刺激の少ない話題を選ぶ傾向にあるような気がする。
    幼馴染も熟年夫婦も行き着くところは同じ場所で、最後にはもちろん話題もすり減って無になると思う。そこに安寧を見出すか、それとも虚しさを見出すかは自分次第だけれど、そもそも共有している記憶がなければ思い出話もできないので、そういう意味では思い出話ができる相手というのは貴重だよなあ。

    っていうことをぼんやり考えた。

    1. 電気ウナギは蒲焼きの夢を見るか? さん

      過去もそうですが、何かを共有した相手じゃないと関係性は弱いですよね。「同じ釜の飯を食った」っていうのは分かりやすい共有の例ですね。そういう何かを共有している関係を「絆」というのかもしれません。

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