酔っ払うとここでなんか書きたくなってくるな。
文脈はまあシリアスではないのだが、ある男から「あんたのファンなんかいねーよ」と言われる。言われた時、脳裏にゲームボーイ的な効果音でズボシッ、的な音が聞こえた。
まー、俺のファンなんかいるんだっけっていうのは前々から疑問に思ってたよ。まあ、量子力学的にいうと、私はファンの存在を確認できていないので、波動関数は収束しないのでファンがいるかどうかは不確定事項なのだ、と心の中で反論しておく。
唐突にコロリベの各話のタイトルについてかたろうと思う。
タイトルの一覧はこちら
「殺ス・リベレーション」
マニアックな話で恐縮だが、コロリベの各話のタイトルはSTGの楽曲から拝借している。
ほとんどは、狂ったタイトルとゲームBGMに関していうと異様に長い(これはゲームシステムの絡みもある)レイクライシスからの引用。
次点では、気が狂いそうなほど好きなゲーム、レイフォース
そのほか、レイストーム、メタルブラックやダライアス外伝や、R-type LEO、R-type Final、アインハンダー、斑鳩、レイディアントシルバーガン、怒首領蜂 大往生、ダライアス・バーストとかそのあたりからちょいちょい拝借している。
どれもこれも、破滅の臭いが漂ってくる陰鬱なゲームばかりだ。クリアしても大体主人公が死ぬか地球が滅ぶ。
少し前にSTG大御所の旧○○社の開発スタッフを取材したときに、「あなたの作ったゲームで人格形成に多大な影響を受けました!」と言ったらどん引きされたことを思い出す。そんな事言われてもそりゃ困るよね。
今回なんでSTGの音楽を取り入れたのかというと、まあ、いくつか考えている事があった。
洋楽を引用した作品は割とあるが(パッと思いつくのはジョジョの奇妙な冒険やBLEACHだろうか)、ゲーム音楽を引用した作品なんてほとんどないなぁ、という事が一点。
STGの音楽はかなりポエティックなタイトルが多い。とは言っても、TAITO社の音楽チームZUNTATAにかなり集中しているのだが。STGが下火になって長い時間が経つ。上記で取り上げた楽曲も発表されたのは約20年ほど前だ。ただ風化されていくのもなんか忍びない。こんな弱小の物書きかもしれないが、フォロワーがいてもいいじゃない、という気持ちが二点目。
三点目は、コロリベの物語は自分を研ぎ澄ましていく剣士達の話なのだが、その剣士達の姿とSTGをプレイするシューターの姿が私の中で重なって見えた部分があったからだ。三点目に関しては特に読者から共感を得にくいだろうと思うけど、私はそう思ったのである。繰りかえすが、私はそう思ったのである。
追記:
コロリベの各話のタイトルでググっても出てこないのがいくつかある。
まあ、もし興味があって曲を聴いてみようという人のために手がかりを残しておこう。
『作り笑いがとても綺麗ね』
これはダライアス外伝のアレンジアルバム『DARIUS外伝 -THE LAST KISS-』のVisionnerzの曲中台詞から。
『We Create MentalAtmosphere』
これはメタルブラックのアレンジアルバム『METAL BLACK -The First-』のExposeの曲中コーラスから。
※2面曲Dual Moonをベースにしたライブ用の編曲なのでExposeとはかなり異なっているが、コーラスとして流れる。
ググってもろくに出てこないと寂しい限りである。
「生命の風が吹く場所」やたら長いがめちゃくちゃいい曲だな。素晴らしい。あと妙に高音質でびびった。
電気ウナギは蒲焼きの夢を見るか? さん
コメントありがとうございます。
個人的にレイクライシスの中ではその曲がマストです。
狂った曲名が多いレイクライシスの中でもその曲のタイトルは比較的まともな方です。
シュレーディンガーの猫、ですか。
黒電話さん
コメントありがとうございます。
なるほど、私のファンは猫だったのでコメントできないのですね。猫がファンっていいな、と一瞬思いましたが、演繹法に従って考えると猫は文字が読めないので猫は私の読者ではないはずです。小説も読まないファンは要らないな、と思いました。
ところで肉眼では見ることができないミクロの素粒子の世界では、観測するために光や電波をあてるだけで観察対象の状態が変わってしまいます。しかし観測しなければ量子の状態は確認できません。量子力学では観測するまで対象は複数の可能性を持つ「重ねあわせ」の存在であるとしています。そして、観測する事によって対象の状態が初めて確定します。
これを波動関数の収束といいます。
シュレディンガーの猫はこれの分かりやすいたとえです。箱を開けるまで猫は死んでいるか生きているか分からないので、観測されるまで猫は生きている可能性と死んでいる可能性を「重ね合わせ」ている状態というわけです。
オカルトのような話ですが、物理学の根幹をなす考え方です。一方、「実際に確かめないと分からない」という当たり前の話しでもあるのですが。