かわりばえしない日常にイライラするのは小学生の頃から変わらない。変わったことといえば、過ぎていく時間の効果をじゅうぶんに理解している事だろうか。
悲しみも怒りも理不尽も時間が風化していく。しかし今はその過ぎ去っていく時間すら惜しく、もどかしい。
つまらんと言って刺激をあっちこっち求めてしまうものだが、そんな事でこの倦怠感が打破できないこともわかっている。
ずっと昔から自分の価値を証明したくてあがいていたような気がする。テロでも犯罪でもなく、何か自分の力で世の中に充満する倦怠感を吹き飛ばしてやりたいと思っていた。
世界の価値観を一変させたい、風穴をあけて、自分の生きた証を百万年後にも残してやりたいと思っていたものだ。
いや、今でもそう思っている。だけど、そんな事をするには力不足なのはイヤというほど思い知っている。
だけど、諦めきれない。ダムに錆びた五寸釘一本で立ち向かうようなもので、ずっと、「割れろ割れろ!」
と念じながら粗末な釘を突き立てているわけだ。