一人で飲み屋の悩みは深い。

昔はよく一人で居酒屋に入って夕飯がてらちょっと飲んで家に帰ったもんだ。
それがエスカレートしてくると休みの日に昼から酒場で飲んだりしはじめる。一人できているわけだから、当たり前に輪をかけて当たり前なもだが、会話をする相手がいない。
酒場に一度入れば牛丼屋じゃあるまいし、滝のような勢いで酒を飲み干すこともできないわけで、まぁ、一時間くらいは店にいることになるわけだ。
はっきり言って、やることがない。
私は大衆居酒屋に好んではいる。気取らない雰囲気が好きだし、一人できても別に目立たない。喧嘩が始まりそうな殺伐とした雰囲気も嫌いじゃない。
大衆居酒屋には大体テレビがある。暇をもてあましたおっさんのための慰みなんだろうと思うが、如何せん大衆居酒屋ではテレビの音声が聞き取れない。スピーカから放たれる音声は酔っ払いの嘲笑と怒号にかき消される。大体私はそんなにテレビをみないし好きでもない。そうすると、テレビでは時間がつぶせない。酒場の喧騒に嫌気がさしてデジタル耳栓を突っ込むと無音の壁に包まれて疎外感がひどくなる。
暇で、寂しく、孤独だ。
そんな中でできる事といえば、こうしてブログやら小説やらのテキストを書き散らす事しかないことに気付く。
気がつけば私はこうして誰のためかわからない文章をつづることしか能がないわけで、つまり自分自身の存在価値を喪失している。「誰のためか分からない文章」などと言っているのがその証拠だ。人間は誰の役にも立っていないという無力感のなかで自信を持てるほど強くはない。自信を失い、アルコールで鈍った頭が私をネガティブの深井戸に落とそうとしてくる。
書いても苦痛、書かなければ自らの怠惰が苦痛。前にも後にも進めない、戻れない。前にも後ろにも進めないのなら、xyz軸のどこへ向かうのだろう。とにかく人間は変化を嫌う割には一か所にとどまってるのが苦手な生き物だ。だからきっとよくわからない方向に私もすすんでいくのだろう。

さて、結局は私は何が言いたかったのだろう。この文章を書いているうちにハイボール三杯を消費し、酔いもほろろである。おとなしく帰って寝よう。人生は意味もなくこうした虚しさや悲しさに唐突に包まれるものである。大した事はない。酒を飲んで忘れてしまおう。
飲みすぎには注意。頭が痛くなるからね。

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